2015年06月

2015年06月30日

 
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1435567526/ 
 
1 名前:HONEY MILKφ ★@\(^o^)/[] 投稿日:2015/06/29(月) 17:45:26.41 ID:???.net 
  (写真)  
  http://imgnews.naver.net/image/020/2015/06/29/72166123.3_99_20150629100709.jpg

 
   
  三豊(サムプン)百貨店が崩壊して20年を迎えた。  
   
  20年前の1995年6月29日、ソウル瑞草区(ソチョグ)にあった三豊百貨店が崩壊した。  
   
  当時地上5階、地下4階の三豊百貨店の崩壊により、建物の中にいた502人が命を失い930人  
  余りが負傷した。  
   
  不良施工が判明した三豊百貨店は、当初は4階で設計されていたが5階に不法に増築されて、  
  柱の太さも基準に満たなかった。  
   
  また、事故の数日前から天井からセメントの粉が落ちて建物の壁にひびが入るなど、崩壊の  
  兆しがあったが何の措置も取られなかった事が分かった。  
   
  現在、三豊百貨店が崩壊した場所には住商複合建物が建っていて、遺族はソウル瑞草区に  
  ある良才(ヤンジェ)市民の森内の三豊惨事慰霊塔に訪れて、毎年追悼式を開いていた事が  
  分かった。  
   
  一方、三豊百貨店崩壊20年を迎えた今年は中東呼吸器症候群(MERS)の余波で、『三豊  
  遺族会』が開く追慕式は中止となった。  
   
  ソース:NAVER/東亞日報(韓国語)  
  http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=102&oid=020&aid=0002814925  
 
 

【韓国】「三豊百貨店崩壊から20年」〜MERSの余波で追悼式中止[06/29]
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http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1435624774/ 
 
1 名前:ダーティプア ★@\(^o^)/[sageteoff] 投稿日:2015/06/30(火) 09:39:34.12 ID:???.net 
  6月22日で、日韓国交正常化50年を迎えた。しかし日韓関係は、けっして良好な状態ではない。  
  韓国側の頑なまでの「慰安婦問題」への固執は、多くの日本人を呆れさせている。日韓関係の  
  トゲは「慰安婦問題」だけではない。「竹島問題」も深刻であり、韓国は一歩も領土問題で譲歩  
  する気はない。  
   
  ■日韓正常化交渉下での竹島  
   
  戦後、日韓の国交正常化交渉は1952(昭和27)年から65(昭和40)年までの13年間にわたって  
  続けられたが、日韓国交正常化の交渉過程で、繰りひろげられた日本政府の毅然とした態度  
  を1つ紹介したい。  
   
  外務省の久保田貫一郎主席代表は53(昭和28)年10月、第3次日韓会談の場で、韓国側が  
  日本に対して戦時賠償と植民地統治の謝罪を求めてきた際、はっきりと「日韓併合は国際法  
  に則ったもので何ら不都合はない。だいたい植民地支配と言うが、実際は搾取どころか、  
  逆に日本政府が資金を持ち出す開発型の統治であり、朝鮮人にも恩恵を与えた」「韓国(朝鮮)  
  と戦争もしていないのに賠償をする必要はない」という発言をしている。  
   
  この発言に韓国側が腹を立てて第3次日韓会談が決裂するが、当時の岡崎勝男外務大臣も  
  「当たり前のことを述べただけ」と韓国側を逆に強く非難している。実際、日本統治時代の韓国  
  は日本に併合されていたため、むしろ多くの韓国人(当時は日本人)たちが日本軍人として米国  
  や中国と戦っている。45(昭和20)年、日本が戦争に負け、朝鮮半島から撤収を余儀なくされた後、  
  韓国は戦勝国として連合国には加われなかったし、その後のサンフランシスコ講話条約(51年)  
  にも参加できなかった。これは歴史の事実である。  
   
  結局、日韓国交正常化交渉はしばしばお互いの主張が衝突し、中断したが、日本側の主張通り  
  韓国側が「賠償」と「謝罪」という表現を引っ込め、個人補償を含めた戦後補償のかたちで決着し、  
  日韓基本条約が調印された。その際、竹島問題は「外交上の経路を通じて解決を図り、これに  
  より解決できなかった場合には、両国政府が合意する手続きに従い、調停によって解決を図る  
  ものとする」と規定され、解決が先送りされた。あれから今年で50年の月日が過ぎたが、いまだに  
  竹島問題は解決の糸口さえ見えてこないどころか、韓国はますます竹島の不法占拠を既成事実化  
  しようとしている。  
   
  ソース:NETIB-NEWS 2015年06月29日 11:26  
  http://www.data-max.co.jp/150629_hmg_01/  
   
  続きます  
 
 

【話題】拓殖大学客員教授、濱口 和久氏「竹島問題、国際司法裁判所に付託すれば日本は敗北」[06/30]
22:21|この記事のURLコメント(0)トラックバック(0)東アジアニュース | 2ちゃんまとめ このエントリーを含むはてなブックマーク 
 
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1435654743/ 
 
1 名前:蚯蚓φ ★@\(^o^)/[sage] 投稿日:2015/06/30(火) 17:59:03.89 ID:???.net 
  http://ojsfile.ohmynews.com/STD_IMG_FILE/2015/0628/IE001844689_STD.jpg

 
  ▲<日本軍国主義の歴史とルーツ>  
  http://ojsfile.ohmynews.com/STD_IMG_FILE/2015/0628/IE001844691_STD.jpg

 
  ▲ベトナム戦争中も米国の投資は日本に流れた。  
   
  日本憲法には不思議な条項がある。日本憲法第9条だ。戦犯国であり敗戦国である日本は第二  
  次世界大戦以後、'平和憲法'と呼ばれる新しい憲法を制定した。特に第9条によれば日本国民は  
  永久に戦争を放棄し国際問題解決のために暴力を使わないと宣言した。戦争の可能性を含む陸  
  海空軍力を設置しないとも約束した。ところが現実は大きく違う。  
   
  米国の軍事力評価機関のグローバル・ファイア・パワーは今年、日本を世界9位の軍事大国と評  
  価した。また、ストックホルム国際平和研究所によれば、昨年、日本の軍備支出は約48兆9700  
  億ウォンだった。これまた世界9位水準だ。さらにはその気になれば核兵器を製造できる技術とプ  
  ルトニウムを持っている。日本の大企業の相当数が軍需品生産に直接従事している。いつでも軍  
  事装備と戦争物資を大量生産する体制に転換できる。その上、日本の将校比率もおかしい。今の  
  軍事力の最大5倍を指揮できる将校が訓練されている。  
   
  日本が軍国主義に陥りやすい理由  
   
  ミズーリ州のセントラル・メソジスト大学名誉教授を勤めたソンウ・ハグウォン博士の<日本軍国主  
  義の歴史とルーツ>はこの様な日本を掘り下げる。同書は日本軍国主義が発芽した環境とこれを  
  育てた滋養分が何か詳細に追跡する。結論として日本資本主義は変質し、強力な帝国主義が現  
  れると主張する。  
  (中略:明治維新の説明)  
   
  結局、封建的な江戸幕府時代の軍閥だった'侍'が明治維新のエリートになった。軍服を脱いだだ  
  けの彼らが、日本の崇高な伝統だして'武士道'精神をそっくり継承した。ここから日本の軍国主義  
  は始まる。日本の愛国者は封建時代の奴隷制度を現代も受け入れることができる感性を持った。  
  彼らは封建精神をそのまま武装した明治政府指導者の支配の下、自分たちのすべての才能と協  
  力を惜しまなかった。これこそが愛国であり日本民族主義であった。こういう民族主義と軍国主義  
  は日本社会では分離できない。  
   
  こういう基調は当時の憲法にも反映された。'天皇は神聖で不可侵だ'という文句が明示された。議  
  会を無視して大衆の世論を蔑視し、ごく少数のエリートが国家政策を左右した。著者は日本のこう  
  いう面を「ヒットラーファッショ制度でも日本帝国主義のような理論はなかった」と評した。それでま  
  だ、日本では全体主義を愛国と勘違いする人々がいる。  
   
  こういう背景が分かれば今の日本再武装を理解しやすい。第二次世界大戦後、'平和憲法'まで制  
  定した戦犯国日本がどのようにまた軍事大国になったのだろうか。その上、この'平和憲法'まで無  
  力化しようとする試みはどのように可能だろうか。  
  (中略:戦犯国日本はこうして再武装の道を歩いた)  
   
  結局、マッカーサーは1950年初め、「日本は砂漠のオアシスだ、世の中にこれほど平和らしいとこ  
  ろはない」とし、7万5000人規模の国家警官隊を設立した。日本再武装の開始だ。その後、米国  
  は資本と技術を日本に集中した。日本の大企業は軍需品を吐き出し始めた。ベトナム戦争中にも  
  米国の投資は日本に流れた。なぜそうしたのか。同書が説明する理由はこうだ。米国は日本を再  
  武装してアジアを守る'ジュニア・パートナー'にしようと思ったからだ。その過程で米国は成功した。  
  >>2-5のあたりに続く  
   
  ソース:オーマイニュース(韓国語) '重い荷物下ろそう'という大統領、誰好きなように?  
  http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002122522  
 
 

【書籍】 再武装する日本、「重い荷物下ろそう」という大統領〜「日本軍国主義の歴史とルーツ」[06/29]
22:20|この記事のURLコメント(0)トラックバック(0)東アジアニュース | 2ちゃんまとめ このエントリーを含むはてなブックマーク 
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